今ここを「シャングリラにする」 

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今の僕があなたの為に出来る事は明日も変わらず笑って生きていく事・・・

No.55

今日はばあちゃんの命日です。

92歳まで生きたばあちゃんだったんで

大往生したと思います。

 

じいちゃんは57歳で早く亡くなり

それからばあちゃんは35年も生きてくれました・・・

 

 

自分が小さい頃

母子家庭だったんで母は仕事でいなくて

保育園にはいつもばあちゃんが迎えにきてくれて

自宅までの帰り道にある

駄菓子屋でお菓子やアイスをいつも買ってくれました。

 

いっつも満面の笑みで迎えに来てくれるばあちゃんが

僕は凄い大好きでした。

 

ばあちゃんには怒られた事も一度もなく

幼少期はほんと母よりばあちゃんに育ててもらったといっても

いいくらいばあちゃん子でした。

 

保育園から帰ると

近くの公園でみんなと遊び

夕方になるとばあちゃん家に帰って

必ず卵丼を作ってくれるんです。

※親子丼の鶏肉無しの事です

 

これがほんと美味しくて毎日こればっかり食べてました。

 

自分の中でお袋の味って言ったらこれになりますね。

 

夜になると母親が帰ってきて

一緒に少し離れた我が家に移動して

お風呂に入って寝る感じです。

 

兄と母と自分の三人家族で部屋も小さく

ほんと茶の間と寝室しかない小さな家でした。

 

決して裕福な家ではなかったですが

日々貧しい生活だとは思わなかったです。

 

ほんと母や祖父、祖母や親戚の愛で

心は豊かに育てて頂きました。

 

 

小学生の時はそろばんや公文に通っていて

いつも学校の帰りに寄って終わる頃

じいちゃんがカブってバイクで

いつも迎えに来てくれました。

 

「しっかり掴まってろ!」って言われて

抱きついていたじいちゃんのあの背中は

今でも忘れらません。

 

なんか色んな事思い出しながら文章打ってますが

なんか涙が溢れてきます・・・

 

ばあちゃんは地元でもカラオケが特に

好きな事で有名で村でも人気者でした。

 

洋服作りも得意でカラオケの衣装も作ったり

村の小さな墓地にある地蔵様の服を作って

着せてあげてました。

 

犬の墓はそこに作ったので

毎年墓参りに行くとその地蔵様があるので

それを見る度にばあちゃんを思い出します。

 

「親孝行したい時に親はなし」

自分を生んでくれた事に感謝し

母親には凄く迷惑もたくさんかけたので

出来る限りこれからも親孝行していきます。

 

 

 

 

いつも笑って

話して通っていたあの想いも

今はもう届かないんだよ

 

今の僕があなたの為に出来る事は

明日も変わらず笑って生きていく事

 

大切な人の間に

僕もいつか命を産むだろう

その時はあなたがしてくれたように

大きな愛で守れるように

強くなるから心配しないで

休んでいいよ・・・

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